2007年01月27日

八幡川だよりB

広島県西部の探鳥地・八幡川の話題をお届けしています。


私たちが深く係わってきた八幡川河口の人口干潟と隣接する埋立地に来る数多くの野鳥と自然環境が大切と考えるからです。今回は八幡川人工干潟に関わる話題です。埋め立てが行われ、同時に干潟造成が行われるまでの経緯の話題です。

その前に、私がバードウォッチングを始めた昭和60年(1975年)頃は、冬になると、カモの観察には、県内東部であれば福山市芦田川河口の箕島埋立地に出来た大きな水面(ちょうど現在の八幡川に似ています)、西部であれば八幡川河口や廿日市町の御手洗川河口に行きました。

当時の八幡川は、広島市と五日市町の間の河口に、3,000羽を越える水鳥が集まる場所として知られていました。その9割方がヒドリガモで、八幡川を代表する種でした。このように多くのカモがこの地に集まるようになったのは、それより以前から集まっていたからではなく、広島県の自然保護にかけた歴史が関係しています。

永野嚴夫知事の時代、広島県がリードして昭和46年11月から県内の水鳥の捕獲禁止(カモ類、シギ類、バン類の計19種)がスタートし、この措置は宮澤弘知事が退任された昭和56年10月末まで、丁度10年間続きました。この時期に八幡川河口に多くの水鳥が飛来するようになり、捕獲禁止の規制解除後も、八幡川河口は鳥獣保護区として付近の海域も捕獲禁止区域の設定がされ、多くの野鳥が安心して滞在できる楽園として維持されてきました。

一方、河口には海苔ヒビが設置され、農林水産業への食害との調整や、モーターボートで保護区に乗り入れカモを保護区外へ追い出して狩猟するハンターとの間で、広島県の担当者や野鳥の会メンバー諸氏が活躍されました。この中には広島県支部初代支部長の中林光生先生もおられました。


さて、昭和58年、広島県は中四国の中核都市としての都市機能整備のため、埠頭用地22ha,都市機能用地と道路に109haなどを含んだ「広島港五日市地区港湾整備事業」をスタートさせました。そして水鳥の集まる自然環境豊かなこの地の環境を配慮し、都市機能優先だけでない、広島県の自然保護の伝統を踏まえ「人工干潟」が計画に盛り込まれたのでした。

これには県の審議会の座長を務められていた広島大学・比治山女子大学の故・佐藤月二先生の「鳥のための干潟を創る」理念に基づいた働きかけが大きかったと聞いています。これを受けて、地元自然保護団体と計画実施者等からなる干潟造成検討委員会が昭和60年3月16日に開催され、それ以後、工事の進展に伴い継続的にこの会は開催されていくことになります。


次回は人工干潟検討委員会のとその限界についての話題です。

※この八幡川河口をテーマにした講演を、20年度総会で行います。興味のある方は
ぜひ総会においでください。
posted by エナガ at 00:00| Comment(0) | 八幡川だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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